仕事だけが生き甲斐になってはつまらないかもしれません。
でも、実際私たちは人生の多くの時間を働くことに費やします。
だからこそ、私たちには安全な環境で働く権利があります。
もし今安全だと思っている職場に死を招く危険性が潜んでいるとしたら――?
しかも、その危険性が30年、40年後に発覚したとしたら―――?
今回ご紹介するのは実際に起きた「泉南アスベスト(石綿)訴訟」です。
泉南アスベスト(石綿)訴訟の概要
大阪府南西部に位置する泉南(せんなん)。
「いしわた村」と呼ばれた泉南地区には、200ほどのアスベスト(石綿)工場が集まっていました。
約100年にわたって、アスベスト(石綿)産業で日本一を獲り続けた地域です。
工場で働く人々は、アスベスト(石綿)が危険な物だと知らずに、仕事中に大量のアスベスト(石綿)を吸い込みました。
このアスベスト(石綿)は、工場で勤務していた人々の体内で静かに眠り続け、30年、40年後に肺がんや中皮腫を発症させたのです。
家族のために一生懸命働いてだけだったのに、なんでこんな目に……。
その無念は相当なものだったでしょう。
一方国は、アスベスト(石綿)の危険性を知りながら、経済成長のためと言い訳して、特段アスベスト(石綿)の使用を規制しませんでした。
もし国がアスベスト(石綿)工場の排気設備についてきちんと指導するなどしていれば、工場で働く人々はアスベスト(石綿)を大量に吸い込まずに、肺がんや中皮腫にならずに済んだでしょう。
工場で勤務していた人やその遺族などが国を訴えたのが「泉南アスベスト(石綿)訴訟」です。
約8年間にわたって最高裁まで争われ、最終的に国の責任が認められました。
もっとも、アスベスト(石綿)工場の周辺に住んでいた人、アスベスト(石綿)工場で働く母親に連れられて赤ちゃんの頃からアスベスト(石綿)工場で育った人については、被害者と認められませんでした。
また、同じようにアスベスト(石綿)工場で勤務していても、勤務を開始したのが1971年4月28日以降であれば、国の責任はないとされました。
泉南アスベスト(石綿)訴訟で提示された3つの条件
国から賠償金が支払われるのは、次の3つの条件を満たす人です。
(ア)1958年5月26日~1971年4月28日までの間に、局所排気装置を設置すべきアスベスト(石綿)工場内において、アスベスト(石綿)粉じんにばく露する作業に従事したこと
(イ)石綿肺、肺がん、中皮腫、びまん性胸膜肥厚など一定の健康被害を被ったこと
(ウ)提訴の時期が損害賠償請求権の期間内であること
工場で働いていた人でもその工場が(ア)の条件を満たすかわからないかもしれません。
そのため、石綿肺、肺がん、中皮腫、びまん性胸膜肥厚と診断された人やX線検査でアスベスト(石綿)が写った人は弁護士に相談することをおすすめします。
これらの条件を満たせば、泉南アスベスト(石綿)訴訟に関わっていなかった人でも、症状に応じて550万~1300万円の賠償金が支払われます。賠償金の額は、以下のとおりです。
石綿肺
合併症がない場合 | 合併症がある場合 | |
---|---|---|
じん肺管理区分の管理2 | 550万 | 700万 |
じん肺管理区分の管理3 | 800万 | 950万 |
じん肺管理区分の管理4 | 1150万 |
肺がん等
肺がん・中皮腫・びまん性胸膜肥厚 | 1150万 |
死亡
死因が石綿肺(管理2・3で合併症なし) | 1200万 |
死因が石綿肺(管理2・3で合併症あり又は管理4) 死因が肺がん・中皮腫・びまん性胸膜肥厚 | 1300万 |
全国各地で起きたアスベスト(石綿)被害
厚生労働省は、和解の対象になる可能性のある人々に対して「アスベスト(石綿)訴訟和解手続きのご案内」を発送しました。
この通知を受け取ったのであれば、賠償金を受け取れる可能性が高いといえます。
賠償金を受け取っても国によって受けた苦しみが癒えるわけではありません。
工場で勤務した人が亡くなったのだとしたら、その人が戻ってくるわけでもありません。
しかし、その苦しみが国によるものだとけじめをつけられるのではないでしょうか。
国は全ての被害者を把握しているわけではありませんので、個別の通知がないからといって賠償金を受け取れないとは限りません。
アスベスト(石綿)に関連する病気にかかった、あるいは、親族を亡くしたのであれば、ひとまず弁護士に相談してみることをおすすめします。
アスベスト(石綿)の健康被害でお悩みの(元)労働者・ご遺族の方は、アスベスト(石綿)訴訟を取り扱っているアディーレ法律事務所にご相談ください。